『告白』
先月の月曜休日に劇場で予告を目にし、それから原作を読んでからだから約1ヶ月。
その余韻が消えない内に映画が観れるという体験はこれまであまり無く、
本当にタイミングが良かったとしか言いようがありません。
この手の作品は時間が経てば経つほど緊張感が失われていきますからね。
土曜に公開したばかりとはいえ、月曜の朝一(9時45分)はさすがに混まないという
長年培われた映画勘を働かせ、開演時刻にチケットを買う余裕を見せての入場でした。
(↑ちょっと寝坊したw)
予告が始まっている場内の端の階段を上り、振り返って座席を見上げると・・・
7・8割入ってる!?Σ(゚ロ゚;)
正直驚きました。
決して万人ウケするような作品ではないと思うし、ゲツアサイチで観ますか、と。
えぇ、自分のことはかなり棚に上げて言ってますがw
確かにメインキャスト3人の番宣は目を引きましたし、効果はあったんでしょうね。
『いいとも』でも松たか子→岡田将生のラインでテレフォンショッキングってましたし。
まぁそんなわけで、ゆっくり観るための選択がちょっと狂った形になりました。
幸い左右両サイドが空いた席を取れ、ホッと一安心(トナリ・シラナイヒト・オチツカナイw)。
『踊る3』の予告を観ながら「あぁなるほどw」とつぶやきつつ、さぁ本編突入です。
いつもの如く、ここからはネタバレを含みますのでご注意を。
事前に聞いていた通り、序盤30分はほぼ終業式での森口の独白。
荒れたクラスの印象はあっても、中学生があそこまで五月蝿いか疑問だったが、
それは後に来る静寂とのコントラストを際立たせるための演出なのかもしれない。
実はこの序盤、ちょっと退屈になる可能性があるかもと事前に感じていた。
本屋大賞のネームバリューで、原作を読んでから鑑賞というパターンの人が多いと思うと、
語りだけで通すシーンは知っていることの確認に近いものがあったから。
無論、そこには書籍では表現しきれない、先に挙げた演出や雰囲気があった。
特にそれを強く感じたのは、森口が【命】という一文字を黒板に書いた時だ。
最後の縦線を引いたチョークがキーッと甲高い音を教室中に響かせる。
顔をしかめながらも、騒がしかった生徒達は黒板に注目せずにはいられなかった。
しかしこれは生徒達よりも、監督から観客への警告音と感じた私は天の邪鬼だろうか。
あのイヤな音が暫く耳に残って、文字からは伝わらない緊張感が私を支配し始めていた。
新学期が始まり、ウエルテルの登場でクラスは何事もなかったかのようになる。
せめて我々だけはこの世の春を謳歌せんとばかりに踊り、狂う。
暗陰な劇中で唯一心を休ませられるのは、隣り合わせの死に目を瞑った生のダンスだった。
この監督の作品は他に観たことがないが、おそらくこうした演出が得意なのだろう。
しかし【持ち上げておいて落とす】は映画の鉄則。
ここから物語は、死のジェットコースターさながら、まっ逆さまに落ちていくのだった。
引きこもり始めた下村の異変に気付いた、その母親・優子の告白がスタート。
帰りの遅い夫、嫁いだ娘には相談出来ず全て一人で解決しようと奔走する彼女。
モンスターペアレンツという言葉を超え、息子を自分の理想に近づけようとすればするほど、
彼は指の間をすり抜け、離れていってしまう。
それが思春期にありがちな親への反抗とはもう言えない段階に来ていた頃、
彼女自身のモンスターが鎌首をもたげ出していた。
このあたりで、原作ではあまり意識しなかったテーマの存在にハッとする。
今さらで恥ずかしいくらいだが、単純明快、『告白』は母と子の物語だ。
事件の流れに目を奪われて、肝心のことを見逃していた。
書評(とは呼べない代物)では【人は人のことを何もわからない】と結論したが、
それをせめてわかろうと努力していたのは、母親達だけだったのかもしれない。
森口、優子、そして映画オリジナルの展開であるあの人の涙でそれは確信に変わった。
あー、ダメだ。
何が書きたいのかわからなくなってきた。
研究室絡みのシーンはツッコミ所もあるんだけど、うまく書けそうもないや。
原作の引き際がバシッと決まっただけに、ラストの間延び感が残念だったし。
ただ、そのおかげで森口のあの何ともいえない表情が見れたわけだけど。
やはり他媒体とはいえ、2度触れてはいけない作品だったのかもな〜。
ヱヴァの為に買った映画誌『Cut』に、偶然中島監督と松たか子のインタビューが。
舞台裏を深く知りたい人は立ち読みでもいける文量かと、オススメ。
監督も本屋で立ち読みしてたら『告白』がふっと目についたんだとか。
ほらね、私の論理もあながち間違いじゃなかったでしょ?w
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